秋、ひとひら
 



澄みきった蒼穹に同じ色の瞳を向けると、余りの目映さにジワリと目尻に雫が溜まる。

吹き抜ける風はすこしばかりひやりと冷えて、庭の欅をさらりと撫でては紅く色付いた葉をはらりはらりと落としていった。

庭に出て洗濯物を干し終えた七郎次は、うんと背伸びをして両手を天高く上空へと伸ばした。

けれど、其れもほんの束の間で、慌てた風に足元に置いていた洗濯かごを抱えると

「さてと…」などと態とらしく声を出し、誰もいない家の中へといそいそと戻った。

そして、たいして散らかっていないリビングの掃除にと慌ただしく取り掛かる。

それはまるで暇を厭うように、ふとした心の隙間を恐れる様に見えた。







久しぶりに昔の夢を見た。

まだほんの子供であった頃だ。

だがその頃には既に両親はおらず、替わりに居たのは

遠い親戚だという仮初めの家族であった。

其処で面倒を見て貰えただけでも幸せだったのだと、七郎次は考えていたが

それでもその頃に受けた虐待の記憶は容易く消えるものでは無かった。



しかし島田の家に引き取られ、心から敬愛する勘兵衛と親愛する久蔵と共に暮らす現在

そんな傷など忘れたと思っていたのだ。



ほんの今朝までは。



真っ暗な闇の中で怒鳴る声だけが聞こえる。

口汚く自分を罵るのは養母、恐ろしい形相で睨む養父。

一気に心があの頃の弱い自分へと引き戻される、こわい。

負の感情が溢れ出し、ただ恐ろしくて手も足も縮こめて。

たすけてたすけて−−−。









「シチ」

呼び戻したのは耳に馴染む強く優しい声。

気が付くと其処は尤も落ち付ける自宅の寝室で、傍らには大好きな匂い。

「勘兵衛様…。」

何も聞かずにぎゅうと抱いて呉れた暖かな腕に涙が出そうになった。

窓の外には何時もと変わらぬ朝の気配で、それがとてもとても嬉しかった。



「シチ、夜は明けた。」静かな勘兵衛の声が耳に届く。





夜はとっくに明けた、大きな開いた窓からはいっぱいに初秋の日差しがリビングにと差し込んでいる。

馬鹿馬鹿しい、七郎次は自分で自分を叱責する。

独りが怖いなんて、今の自分はこんなに満ち足りて、幸せで。



何を恐れるというのか。



それでも何かに追われる様に家の中を片付けて回る。

夏物の衣類を仕舞い、合服と薄めの冬服と入れ替える。

冬用の小物もすぐ使える様に日影干し、確実に巡る季節に時の流れを想う。

私はとっくに大人になったのだ、もう子供ではない。



今夜はうんと手の込んだ料理でもこさえてみようか。

秋になって美味しくなってきた根菜を炊き合わせて、鶏肉は久蔵の好きな治部煮にしようか、

勘兵衛様にはとっときの吟醸酒でも出して差し上げて−−。

大好きなキッチンでつらつらとそんな事を考えていると、玄関でばたんと扉が開いて閉まる音。

おや、もうそんな時間ですか?七郎次はぱたぱたとスリッパを鳴らして玄関へお出迎え。

「おかえりなさい、きゅ−−−、うぞう殿?」

出迎えた七郎次にぱふりと細い体が被さってくる。おっとと其れを受け止めてふわふわの髪をそっとひと撫で。

少しばかりひんやりした其れに外が存外冷えているのだと知る。

「どうしたんですか、久蔵殿?」

ぎゅうと抱きついてくるものの返事はない。

やれやれ、まだまだ甘えん坊なんですからねぇ。

七郎次が細い背中を撫でてやろうと思った時。

不意に背中に回った久蔵の手がぽんぽんと七郎次の背を撫でた。

まるでよしよしと、掌がそう言っている様で七郎次はドキリとした。

これではまるで慰められているようで……、いや“よう”ではなくて“そう”なのだ。



「久蔵殿…、ありがとうございます。」



肩に伏せられた久蔵がふるふると頭を振る、柔らかい髪がほわりと七郎次の頬を撫でる。

全身で慰めて呉れているのですね。

七郎次はぎゅうと久蔵を抱きしめた。

慰める振りをして、慰められている自分が少し情けないけれど、こんな幸せってあるだろうか。











「きっとお主が心配で急いで帰って来たのであろう。」

今日の久蔵との一幕を七郎次から聞いて勘兵衛は微苦笑を浮かべた。

朝から七郎次が沈んでいるのは勘兵衛はもちろん知っていたのだが、それでも久蔵には知られぬようにと

何時も通りに振る舞っていた七郎次にとっては、久蔵にあっさりと見透かされていた事が少しばかりショックであったようである。

「朝から久蔵殿にまで迷惑を掛けてしまって…。何とも情けない限りです。」



灯りを落としたリピングは勘兵衛と七郎次の二人きりで、久蔵はとっくに2階で眠っている時刻である。

「シチ…。」

主の少しばかり強張った低い声音に七郎次がはっとする。

「…すみません。」

「…いい加減その様な物言いは、いや考えを改めなければな。」

今更迷惑だとか何だとか…。それが一体何だと云うのか。

「我らは家族であろう?」ならば当たり前ではないか、互いを想い合うなど。

「すみません勘兵衛様」

孤独であったあの頃よりもずっと長い時間、この家で慈しまれて過ごしているというのに。



しょんもりと俯いてしまった愛しい女房の肩をそっと抱いて、勘兵衛はほんの掠るほどの口付けを頬に落とす。

「今宵は怖い夢も見る暇もない程に、励んでもらうとしようか?」

悪戯気に瞬いた勘兵衛の瞳に、七郎次は一瞬にして顔を真っ赤にした。

「なっ!」

もう、なんて意地悪な。意地悪でそしてそれ以上に、なんて優しいお方。



「知りません…。」



俯いた七郎次の赤い耳を、勘兵衛は愛しげに見詰めた。





<おわり>



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大好きな Morlin.さま宅の「お侍様 小劇場」の設定をとうとう拝借してしまいました。

もうこの家族が好きすぎるのです、大好きなんです。

勝手に妄想してしまってすみません。

2009/10/21@YUN  


  *YUN様に頂いたとってもやさしいお話です。
   勘久、勘七、どちらも同じほど好きとなった頃にお邪魔をし、
   細やかに描かれておいでのたくさんの大戦ものを拝見し、
   大きく心ゆすられたものでした。
   お伺いしておりますとの名乗りを挙げて以降は、
   色々とお言葉も頂き、構っていただいておりましたが、
   でもでもまさかこのようなお話を書いていただこうとは…。
   ウチのややこしい島田さんちを、
   日頃からもこよなく可愛がってくださっておいでで、
   それだけでも勿体ないことですのに、
   勘七の二人の睦みようみならず、
   久蔵さんの甘えっぷりと、それが実は癒しでもあるという暖かい描写まで…。
   本当にありがとうございましたvv わざわざのお骨折りありがとうございましたvv
   大切にしますvv 宝物ですvv

YUN様のサイトさんへ 今日も、語っていいですか? サマヘ

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